これは、53のコメントを読んだ素直な感想です。
文字として残しておきたくて、書きます。
チョー長いです。
東京を去って10年近く経ちました。
あの頃、マジで楽しかった。
なんかこんな毎日が永遠に続くと思ってた。
と、同時にいつか終わる日を恐れてた。
そして、あっという間に時は流れ、みんなバラバラになっていった。
スクワットしまくった日々も、
アンダーバトンした日々も、
ヨドバシに行きまくった日々も、
どこにいくにも歩いてばっかりの日々も、
チャリで全開した日々も、
ただの想いでになっていった。
仕方がないと思ったし、みんな陸上から離れてゆくのを寂しく感じていた。
僕は東京を去り、高知で再び走り出した。
2年ほどで静岡に戻る予定が、いつのまにか8年経った。
その間、正直に話せば陸上に対する思いはゆらいでいた。
ちょっと練習すればそこそこ走れてしまう自分。
適当な練習の日々が続いた。
本当は「走幅跳」「200m」をやりたかったけど、最初の一年で飽きた。
秋の大会でそれなりに走って、もうこれでいい気がした。
そう、燃えることができなくなっていた。
東京の連中と走りまくった日々が重くて、どうにもやる気が失せていた。
それは、高知大に失礼だとは思っていたが、どうすることもできない感情だった。
だから僕は「十種競技」を始めた。
確かにオールマイティーな身体能力を持ってはいたが、短距離に対するこだわりを捨てた結果の選択だった。
十種競技の方が「楽」だから始めたのだ。
ほどよく練習して僕はそこそこの成績を残した。
二日間を朝から晩まで競技し続けるので余計なことを考えなくて済むのも良かった。
ただ、疲労感がほしかった。
自分の迷いで始めた十種競技に興味を持ってくれる人達が現れだした。
一緒に練習するようになり、一緒に試合に出るようになった。
みんなを連れて愛知で行われる「エブリバディ・デカスロン」にも参加するようになった。
いつの間にか人が増え、中四国の混成競技と言えば高知大と言えるくらいにはなったかもしれない。
知らない間に僕は「十種競技のみとさん」になっていた。
気がつけば、走り続けていた。
結局、走っていた。
いや、みんなに支えられ走っていた。
支えられて、降りられなくなってしまっていた。
そしてそれが自分の本意であることもわかった。
陸上を通して知り合えた全ての人が、僕の走りのエネルギーです
と、言えるのだけど…
だけど、ホントはちょっと違うと思う。
誤解がないように言うと、それがどこであろうが…
きっと僕は一人でも走り続けていたと思う
僕は走ることがホントに好きだと言えるから、どんな状況でも場所でも走り続けてきたと思う。
だから、どこに行っても、集まってくる周りのみんなも走るのが好きな連中ばかりなのだろう。
知らない間に僕の周りは陸上バカで囲まれていました。
僕はなんて幸せ者なんだろうか。
53。
僕はお前のコトバで涙しました。
ふとリレーを思い出しました。
僕は東京時代いつだってアンカーでした。
アンカーは振り向きません。
いつもゴーの「いけー!!」というターボ音に後押しされてゴールに駆け抜けていました。
でも、そこはホントのゴールではありませんでした。
ゴーから受け取ったココロのバトンを、僕は左手に握りしめたまま永遠に走り続けるでしょう。
ホントのゴール目指して。
生きることを充実させるには、死をリアルに感じること。
同じく、ホンキで辞めることを考えていたから、本当に好きなものが見えてきたと思います。
いつか終わっちゃうんです。なんでも。だから
「明日死ぬように今日を生き、永遠に生きるように走り続ける」
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