10×365
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仕事を一段落させて、昼の便で飛行機に乗り高知へ。
機内で付箋の貼られた資料をチェックするが、2枚目をめくったところで空いている隣の席に放り込んで寝ることにした。
空港から市街地に戻る途中のスポーツデポにより、SKINSのタイツとSHIMANOのロードシューズとUNBROのジャケットを購入した。
新しく借りた部屋には、布団・自転車・着替え・本しかないので、ニトリに寄りカーテンと絨毯を購入しようと思い立ったが、考え事をしていたためか通り過ぎてしまった。引き返すのも面倒なので、そのまま大学図書館へ向かった。
図書館のテーブルに数冊の本を積み上げ調べ物。学生に戻った気分だったが、内容に対する意識はまるで違うモノだった。なんと学生の頃が適当だったのか… やや苦笑しながら、高速でページに目を走らせていた。
夕方、昨晩急遽予約した大歩危小歩危の山奥にあるゲストハウスへ、向かった。
古民家を改装した、田舎のおばあちゃんちといったところか。
オーナー氏の雰囲気がどことなくキタ○ラに似ていた。
途中のスーパーで購入した食材で鍋と餃子をつくりプレミアムモルツで労をねぎらった。
翌朝、周辺を散歩。
昭和の残り香もほとんど消えかけた寂しい集落だった。
琴平へ。
車の点検をお願いした。
10万キロ走ったが、ブレーキパッドは半分も残っていたし、それほど痛んでいるところは無かった。
燃費運転と先読み、マイルド運転の結果だった。
機械屋さんから運転を誉めていただけ光栄であったし、これからも大事に乗ってゆこうと思った。
久しぶりの香川。
記憶をたどり一番好きなうどん屋さんに行ってみたが、すでに閉まっていた。
14時過ぎでは仕方ないか…
帰路。
暗い32号線をほぼ制限速度で走る。
高知の明かりに向かって。
明日は、自転車に乗ろう。
新しいシューズとウェアと自転車で。
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静かな夜です。
オフィスの窓から眺める東京は、古いモノクロ写真のようで、なんだか過去を眺めているかのようです。
30年後の自分が、今ここにいる。
そして、数日前のことですら、二度と戻れぬ場所へと変わってゆく。
人も同じ。
全ては、一期一会。
「必要とされ、頼られていることは幸せなことなんだよ」
「よく分かるよ。 だけど、それは頼る方の問題なんだ…」
雪は何もかも覆い隠す
このまま、まっしろになればいいのに…
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子供の頃、お月さんは夜空の穴だと思っていた。
明日の光がもれているんだ、って。
三日月
寒い夜だったけど、ぼんやり眺めていた。
あしたという未来が少し見えそうな気がした。
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昼間は明るいから星が見えない。
一番星や明るい星は、夕方・早朝に見ることができる。
でも、ほんとは昼間だって星は空一面にあるんだよな。
僕は目が良いから、太陽が少し隠れている日には、青空の向こうに白い星がチラチラしているのがわかる。
それが、普通だと思っていた。
だけど、人は疑う。
「確かに星はあるけど、見えないよ」と。
彼らは見たこと無いのに、知識という情報で「星があるけど太陽の光が強いから見えない」と、知っている。
ぼくは、小さい頃から昼間に星を見ていたから、知識として知るより先に、体験として体で知っていた。
昼も星が見えることを。
僕は問う
「じゃあ、昼間の空をじーっと何時間も星を探したことありますか?」と。
返答の多くは、
「あるわけない。だって見えないこと分かっているから」と。

そうやって人は、自分で確かめたことのない情報を、まるで自分の情報であるかのように扱うようになるんだな。
そして、いつしか見えるかもしれない可能性を消してゆく。
それが、情報化の恩恵であり、効率の良い生き方であり、その先にあるモノが勝ち組というものなのかもしれない。
無駄のない人生って、すばらしいよね。
実際、自分のことバカだなって思うよ…
昼間にぼーっと星を眺めているなんてさ。
そうやって他人には無駄に思えるかもしれないことに心を傾けることが、僕の美学なんだ。
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そう、deedの言うとおり。
この話の真意はまさにそれだ。
人は自分の常識にとらわれて生きている。
ということは誰でも知っているけど、理解はしていないってことだ。
簡単に言えば、難しい話を自分の常識というモノサシで計ろうとしてしまい、全く新しいハズの概念を獲得し認識するに至らない、ということだ。
だから、僕はある時期になると自分を激しく否定するんだ。
1+1が、どのようにして2なのか。そして、どうして2なのか。
これをわかったように説明する人間は信用できない。
本当に、自分で考え抜いた答えなのか。
1本のバナナと、1個のりんごを足したら なにになるというのだ?
という、小学生レベルの疑問から始まった。
それなりに決着がついたころ、またもや考える。
1+1と1.0+1.00はどうなのか? と。
あたらしい答えを検証するたびに、それを超える別の問題が発生する。
そうやって理解したつもりが、やっぱりなんか違うのかなぁ、と別の切り口を探す。
一番身近にある現象ほど見えていない。
あたりまえを分解することが、僕の行。
常に自分を否定し疑問をかけ続けることは疲れるかもしれないけど、ただそれが僕が人と違う決定的な性質だと確信している。
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例えば、生まれたときからずっと洞窟で暮らし、外の世界を見たことがない人間がいたとする。
洞窟の人たちは、外の世界の鳥や木の葉が洞窟の壁に投げかける「影」だけが見える。(目が見えないわけじゃない設定)
洞窟の彼らにとっては、その影だけが全てであり、外に広がる様々なカタチや色に充ちた世界が広がっている、と想像もつかない。
彼らの住む洞窟に、外の世界の人間が迷い込んだとする。
彼らに、外の世界の存在をどのように説明するのだろうか。
俗に言う「プラトンの洞窟の揶揄」

人は自分の目で見えているモノしか信じられない。
だけど、疑うときは見えていなくても、勝手に妄想する。
都合のいいように解釈するのが人間なんだな。。。
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